本年度は3年間にわたる本研究の基盤形成のために、ハイデガーとヘーゲルに対する批判的関わりを参照軸として、西田・田辺の「自覚」概念フランス哲学の諸々の哲学者における「証言」概念の組織的な突き合わせを試みた。その際、全般的・包括的な見取図を描くと同時に、たとえば死者としての他者という問題系をめぐって田辺の最晩年の「死の哲学」におけるブランショ読解を検討し、それを通してブランショやレヴィナスのハイデガー批判と田辺のそれとを交錯させるなど、個別的な主題に即したアプローチも行った。こういった角度から研究は、フランス哲学研究の側でも日本哲学研究の側でもほとんどなされたことはなく、重要な意義をもちうるものだと考えている。 また、こうした研究は、研究代表者の専門分野である宗教哲学において、「哲学の終わり」の後のいわば「ポスト哲学的思索」において「宗教的」な語彙が動員されることの意義と問題性を検討する上でも、大きな手がかりを与えてくれるものであることが見えてきた。その点について、日本宗教学会の第68回学術大会での公開シンポジウム「思想としての宗教」における招待講演で論じたところ、宗教哲学の枠を超えて、他のアプローチをとる宗教研究者たちからも予想以上の反響をえることができた。
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