本年度は、3年間にわたる本研究の最終年度であることを踏まえて、過去二年間の研究、すなわち、西田と田辺における「自覚」概念とハイデガーの影響下で現代フランスの哲学者たちがそれぞれ展開する「証言」概念を突き合わせ、それを双方における身体性・歴史性・社会性に関する独自の考察の再活用へと生かしていく試みの組織的な彫琢に努めた。もちろん、研究の具体的な遂行に当たっては、京都学派と現代フランス哲学のいずれの側についても、一人の思想家を特定の視座から論じるテクニカルな研究をも同時に進めてきたが、その際にも、上記の大きな見取図との往還関係を強く意識しながら考察を行ってきたつもりである。その結果、次の2点にわたる成果が得られた。 1.上記の構図の中で、西田と田辺の双方について、彼らの行為的身体論に定位した歴史的世界論の意義を浮かび上がらせるような全体的理解を提示できたこと。西田については、2011年8月にフランスのスリジー・ラ・サールの伝統ある国際学会でその成果を発表し、一週間の学会期間に参加者たちと濃密な意見交換を行うことができた。田辺については、2012年1月に出た『思想』の田辺元没後50年特集号に関わり、合田正人氏との対談と自身の論文を通して、現時点での自らの田辺理解の全体像を提示することができた。 2.3年間の研究全体を通して、京都学派の哲学と現代フランス哲学をこのような視座から突き合わせて考究していく上で、1930・40年代の双方における思想的・歴史的状況の検討が重要な鍵になりうることが理解できたこと。双方における独特の社会論・歴史論を理解する上で、同時期の西田や田辺(とくに田辺)と同様、ハイデガーとヘーゲル弁証法を自己化しつつ独自の歴史哲学を展開していた1930年代のコジェーヴがキーパーソンになりうることは予想していたが、調べてみると、本研究で参照する20世紀後半のフランス哲学者たちの源流としてコジェーヴをもちだすことで、後者と同時期の京都学派の哲学との突き合わせに役立てようという当初の狙いを超えて、そのそも身体・社会・歴史といった問題を考える上で、1930・40年代の世界史的激動期の思想状況に、驚くほど豊かで、未だ十分に活用されていない哲学的示唆が埋もれていることに気づかされた。これは、今後の研究の展開につながる論点になるはずである。
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