本研究は、われわれ各人の生の時間的な自己理解からほとんど不可避的に生じると思われる「ニヒリズム」の構造を明らかにし、その超克のための理路を原理的に解明することによって、道徳形而上学の基礎を見出すことを目的とし、この目的を達成するための方法的通路として、「ベルクソニスムによるハイデガー哲学の脱構築」という課題に取り組むものである。 平成21年度の研究では、本研究全体を主導する基礎的考察の視点をいっそう確かなものにすることを狙って、「時間を経験する」という事柄それ自体がもつ自己再帰的な構造について、フッサールの時間論、およびハイデガーの「自己触発」論を参考にしつつ、原理的に考察することが、まず試みられた。「時間を経験する(erfahren)」ことは本質的に、「時間を蒙る(erleiden)」ことであり、「経験する主体自らが時間的変化を蒙ることなしに、世界の時間的推移をただ観察することなどはできない」ということは、通常、われわれにとってごく自然で自明とさえいえる事実である。しかし、世界の内に存在する身体的および心理学的な自我から、世界を構成する超越論的主観性を区別しようとする、従来の超越論的哲学によっては、この自然的な事実が、いったい何を意味しているのかを十全に理解することができない。そこで、本年度の研究では、「時間を構成すること」と「時間的に(構成的主観自身が)構成されること」との本質的並行性に着目するフッサールの時間論と同様の発想を、超越論的哲学の構図を解体しようとするハイデガー哲学のうちに発掘しつつ、こうした事柄のもつ意味をベルクソンの「純粋持続」概念との連関において理解し直すことが試みられたのである。
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