研究概要 |
2011年はヒューム生誕三百年にあたり、『人間本性論』第二巻の翻訳出版と関西哲学会におけるシンポジウム発表を要請されたので,最終年度にヒューム哲学を中心に行う予定であったま.とめの一部を先行させ、ヒューム哲学における情念論の持つ哲学的な意義を明らかにすることに務めた。その際の中心的なアイデアはヒュームの人間本性論が観念説によって、人間の精神の働きを因果的に説明することであるというものである。ヒュームはその構想に沿って、人間の持つ情念とりわけ対人格的な社会的情念である間接情念の解明を進めていくが、その際人間の情念の動きという現象をごまかすことなく取り上げているために、理論的な整合性が損なわれているように見える。このことをヒューム哲学の欠陥と見なすこともできるが、むしろそこにこそ、ヒューム哲学の可能性を見ることもできる。そして,それに関連して、トマス・リードの因果論批判の中心が結局において、人間の行為をどのようなものとしてみるか、すなわち人間を自由な主体としてみるか、因果関係の総体としてみるかと言う問題であるのを見いだしたのを受けて、ヒュームの情念論の基盤となる人間観が後者であり、18世紀における英国哲学の情念についての根本的な対立点が人間の自由な行為と言う概念をどう理解するかにあることが明らかにできた。また,この観点からすれば、ヒュームの理論は、理性と情念の行為における因果的役割を分離して持ち込んでいるという点で、不徹底であり、より現代的な自然主義的哲学の可能性をヒュームの哲学がその前提に秘めているということを指摘することができた。以上の成果は、研究テーマが当初予想きれた、道徳思想への関わりだけでなく、認識論をも含む広範な哲学的問題全般に関係し、近世哲学全体の見直しに通じるものであることが確認できた。
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