1. 研究初年度である今年度、まず研究に取り組んだのは痛みの問題である。ハイデガーは、痛みは人間存在に深くかかわる現象であり、人間は痛みをもつがゆえにお互いに支えあうことができると考えている。もっとも、ハイデガー自身は痛みについて断片的に言及しているだけである。そのため、本研究では、人間にとっての痛みの意味について、ハイデガーの思索を基底に据えつつも、それにとらわれることなく多様な観点から次のような考察を行った。すなわち、痛みの除去・緩和は万人の願いであり、医療行為の根幹に据えられる医療の重要な役割である。だが、痛みを除去・緩和する治療法がいくら進んだところで、痛みの意味が明らかになるわけではない。痛みは、人間の生が他者とともにあることを顧みる契機となるものである。痛みは身体の異常を感知するうえで必須の感覚であるだけでなく、人間が生きていくうえで欠くことのできない経験である。痛みの完全な根絶は、他者との共同存在である人間の生そのものを否定することにつながる。それゆえ、痛みに苦しむ生を肯定できるように支援していくことも、医療に求められる役割である。 2. 医療行為は、医療者と患者の間で繰り広げられる相互行為である。そこで今年度はさらに、医療者一患者関係におけるコミュニケーションの問題についても考察し、対面的な関係がなければ、医療者は患者やその家族、あるいは他の医療者との間に確固とした信頼関係を築くことができないこと、目の前の人間を「患者」と捉えることはその人を自分と同じ独自な人間としてではなく、実行すべき処置を抱えた「物」とみる危険性を常にはらむこと、等々を指摘した。
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