従来、ハイデガーに対して倫理学の欠如がしばしば指摘されてきた。しかし、彼は人間の本質と存在との関係を考えるなかで、倫理学に一貫して関心を抱いている。今年度はこのことを明らかにすることに取り組んだ。倫理学という語の語源はギリシャ語のエートスであるが、ハイデガーはエートスの根源的語義を住むことと捉えたうえで、人間をエートスによって規定された存在とみなした。ハイデガーは倫理学について主題的に論じることがなかったが、人間の最も固有な本質をエートスに見出しているのである。ハイデガーはまた、人間の本質として、存在へと脱-存しつつ存在の真理を見護ることも挙げている。脱-存とは「存在の開けた明るみのなかに立つこと」であり、人間に固有なものである。人間は存在者の主人ではないが、存在の真理を見護るという点において他の動物とは本質的に異なっている。そこでハイデガーは人間を「存在の牧人」、あるいは存在の近くに住む「存在の隣人」とみなした。この点においても彼の問題意識は、人間はいかに住んでいるのか、つまり、エートスの問題にあるといえる。 存在の真理を問うことは、人間の本質的な滞在であるエートスを存在のほうから、かつ、存在に向けて規定することである。ハイデガーは存在を人間の本質との連関のなかで考えているゆえ、存在の真理を問うことは人間の本質としてのエートス、言い換えれば、倫理学が生まれてくる根源を問うことでもある。ナンシーが指摘しているように「控え目で目立たない主題」であったにしろ、ハイデガーは倫理学に一貫して関心を抱いている。それゆえに彼は存在の真理を思索することを暇源的倫理学」と名づけたのである。
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