本年度はまず、唯物論的な心の見方と自由意志との断絶について、場所的思考がなし得る役割について検討し、世界観の根本的対立が生じる原因を、認識枠の問題として追及した。物質世界に自由意志を位置づけようとすると、それは物質の因果的決定性の外に、不自然な何かとして追いやられるしかない。しかし意志が幻想となるのは、延長や空間性といった物質の性質を唯一の実在と見なすことに基づいている。よって、物質を規定する思考枠以前の場所に実在性を戻すことが、問題解決の道筋として考えられた。 西田の場所は、この導きの糸となるのは、それが物質や精神、個人的自己を形作る述語的な限定以前の次元に開けるからである。したがってそこは、物質の決定性と個別的意志の自発性という対立を形成する条件をも形作るので、意志の自由がない、ということも成り立たない。それは逆に、形而上学的問題とは精神と物質、自由と決定などの限定枠の中に実在を押し込めることで生じていたことをも意味する。 論理的には論駁不能な虚無の解消も、場所的な根源への回帰から考えることができた。虚無の外へは脱出不能であることが、ニヒリズムの深刻さを形作る。しかし虚無もその前提となる論理の形式の産物ならば、この形式以前では、虚無が解決するのではなく虚無の問題自体が消滅する。逆にニヒリズムとは、実在を形式的に限定するところから生じ、限定から自由になれば、ニヒリズムからも自由になる。そして有無の超越という絶対無の性質は、思考のあらゆる形式性からの離脱を意味し、したがって無意味や虚無を運命と見なす論理の前提を消去するものとして、絶対無の性質は先鋭化することを確認した。
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