脳という物質がなぜ心という物質には見いだせない性質を生み出すのか、心はどのようにして身体と相互作用をなし得るのか、主観性の核としての「私」はなぜ存するようになったか、私たちの意志は決定されているのか、それとも自由意志は存在するのか。こうした問いは形而上学の課題として哲学史上論争が続いてきた。 本研究はこれらの対立を乗り越える概念装置を作り上げるのではなく、そもそもこれらの対立概念を成立せしめている前提に遡り、問題自体を無効化することを試みた。その際、実在を無限定と見なし、反対に概念を実在の限定と見なす西田の場所的論理を応用し、私たちの概念装置の有用性と使用の限界について究明した。
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