(1) 哲学で伝統的に「心身問題」という枠組みの中で問題とされてきた「身体」を、「心との関係」ではなく「社会との関係」を主軸に考察したことで、身体の社会構成機能の大枠を闡明することができた。 (2)従来、常識的には「情報を運ぶ乗り物」としてイメージされ、哲学においては離在する諸項の「媒体」「媒介」として理解されてきた「メディア」概念をN.ルーマンの独自の「メディア」解釈―美学でいう、芸術的モチーフを表現するための絵の具や石膏といったマチエールとしての「メディウム」概念に依拠しつつ“形式”を構成するための“素材”と解する―を採用し、更にルーマンの枠組みを超えて「メディア」概念を「身体」へと拡張することで、「身体」と「社会」との関係を解明するための新たな視座を設定できたと考える。 (3) 本研究は、デカルトの「心身二元論」の枠組みにおいては傍流の扱いを受けてきた非デカルト的身体論を体系的に掘り起こし再評価する思想史的研究を作業の一環として組み込んでいる。従来、メルロ=ポンティらの「行動」的身体研究、クラーゲスらの「情動」的身体研究において独立に主題化されてきた身体への非デカルト的なアプローチを「身体メディア」の概念の下で統一的に整理・解明できた。また、その作業によって「身体」論が社会次元に開かれ、哲学が社会学やメディア論との連携・協働を図りながら、高度情報社会の存立構造を分析するための拠点を得ることができたと考える。 (4)ルーマンの社会システム論の鍵概念の一つは「メディア」に存するが、多くの研究が「マスメディア」論という閉じられた領域へと向かっており、ルーマン「メディア」概念の哲学的な含意の究明は遅滞していた。本研究はルーマンの「メディア」概念が「身体」へも適用可能な、一つの方法論的な「操作概念」であることを明らかにすることで、「社会システム論」の新たな可能性を示せたものと考える。
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