本研究の目的は、朱熹学術の受容者層からの視点、同時代諸学の相互交流という思想学の視点、地域士人の社会的あり方や科挙学術の動向という社会史の視点を取り入れて、南宋後期の士大夫思想界の思考枠組の展開現場を複合的に検証し、復元することである。本年度の実施計画では、朱熹が亡くなった1200年時点でのその門人、交遊者、さらなるその門人、共鳴者らの交渉関係に関わる諸問題を検討する、と述べた。 ・「朱熹門人従其師那里得到了什麼-黄〓所"表象"的学習」は、以上の目的と計画に直接対応した予備調査的研究である。本稿では、朱熹の女婿で朱熹学説の継承と再生産に重要な位置を占める黄〓が書いた行状、墓誌銘における「学び」の表象を、朱熹の思想・学術の再生産の状況を考える材料とみて検討した。そこには、科挙不合格者、断念者が民間郷里社会において学びを説いて周囲の人々を感化させる場面が描かれ、そうした人が民間郷里社会のすそ野へ向けて、社会の倫理秩序を構成する人の「知」力を拡大させる現象がみられる。13世紀後半までで言えば、こうした作用が、逆に科挙のすそ野を支え、「朱子学」を支える社会的基盤を形成することになるという検討課題が立ち現れた。 ・「朱熹『朱文公文集』跋文訳注稿」は、朱熹が目賭した書画、書物等に対する跋文の研究である。本跋文は、朱熹の思想のみならず、その芸術観念や士大夫の日常的交遊の様態などがその中にうかがえ、南宋士大夫の思想と文化意識を探るのに有用な一級資料である。本訳注稿では、その訳出と各条の研究的意義について検討を続けている。その検討内容は、本科研課題研究副題の「南宋後期における士大夫思想展開の発展的研究」に資するものである。
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