本課題研究は、朱熹学術の受容者層からの視点、及び同時代諸学の相互交流という思想学の視点、地域士人の社会的あり方や科挙学術の動向という東洋史分野の社会史の視点を取り入れて、複合的に南宋後期の士大夫思想界の思考枠組の展開現場を、中国哲学分野の思想史学として検証し、復元することを目的とする。朱熹の言葉、学説は、中央政府高官レベルの人士に対してだけではなく、末端の狭い意味での地域郷里社会に生きる士人に対し、そのときどきの社会的立場を客観視し自覚しつつ生きるための言葉を提供するものとして機能する側面を持つ。初発的にはそうしたものとして受容されていると目される朱熹の言葉・学説が、どのような展開と変容を経て、南宋末に主流学術となり、地方と中央の双方において支持を受けるようになるのかについて解明しようとするのが本研究である。 昨年度以前は、身体的実践知形而上学的諸問題を、朱熹が注釈という場を利用して「説明」の言葉の上に位置づけることができたことが、その学の広範な支持者を得る基礎となったという、その学術が地方の士人に支持される根本前提に探究が向かった。昨年度は以上をうけて、朱熹における「地域」に生きる士人としての心性が朱子学理論に組みこまれるしくみについて解析した(印刷中)。最終年度は、朱子学人脈および朱子学学術の伸長とその質的展開について、朱熹再伝門人を中心に追跡する予定であったが、予定を変更し、形成された「朱子学」の明代における像として、羅欽順の言説を王守仁の陽明心学の言葉と比較し、上記、朱子学言説の解説説明語的なその特質のあらわれを解明した。年度の当初の課題とした再伝門人の研究についての成果は発表するに至らなかった。期間終了後になるが、次年度以降に公表したい。
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