研究概要 |
20世紀初頭にヨーロッパ列強探検隊あるいはわが国の大谷探検隊は中央アジアから貴重な文献を各国に持ち帰った。ドイツ学術調査隊は主としてトルファン地域を集中的に調査、発掘し多くの漢語文献を収集したが、20世紀の2度の大戦で、その整理は遅れていた。研究代表者の西脇は、十数年前から元トリア大学教員のDr. Magnus Kriegeskorte氏とDr. Christian Wittern氏(京都大學・人文科學研究所准教授)の協力を得て漢語文献の目録作成に従事している。 本年も2人を研究協力者として、以下の2つの研究成果を得た。 1. マンネルヘイム・漢語コレクションの同定 後にフィンランド大統領となったマンネルヘイムC. G. E. Mannerheim(1867-1951)は、帝政ロシア支配下の將校であった1906年から2年間、日清戦爭以後の弱體化した中國(清朝)の軍事情勢を蒐集する任務を帯び、サンクトペテルブルクから中央アジアを経由して北京まで、騎馬で約1萬4千キロを横断した。その途中、トルファン地域を中心に二千枚近くの漢語断片を集めた。断片は極小なものが多く、その全容はほとんど報告されてこなかった。今回の同定作用で、収集品はベルリン・コレクションや大谷コレクションと重なること等が明らかになった。詳細は『トルファン出土漢語文書研究』に述べた。 2. ベルリン・コレクションとクロコトフ収集品 先年、中国から出版された『俄藏敦煌文献』第17冊にはロシア人クロコトフ(N. N. Krotkov, 1869-1919)の収集した漢語仏典版本断片の画像写真が牧められている。版本断片には、契丹大蔵経、金大蔵経等300鮎ほどが含まれており、それらのいくつかはベルリン・コレクションの版本断片と接続することが、同定の過程で判明した。これによって契丹大蔵経の版式も一段と明らかになった。詳細は『トルファン出土漢語文書研究』に述べた。
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