(1)御師的宗教者の資料を収集するために、秋葉寺、甲賀市教育委員会所蔵の資料、愛知県史編纂室所蔵のマイクロフィルム資料の史料調査を行なった。秋葉寺では住職より、明治以降の歴史と行事の聞き取りを実施した。甲賀市教育委員会では、近世の多賀坊人の史料を閲覧して、坊人子孫の家を訪問し、版木、仏像を見ることができた。甲賀の住人のなかに、複数の寺社と契約して、配札を実施する人たちがいたことを確かめることができた。御師的宗教者は、必ずしも寺社に支配されていたわけではなかった。 (2)原田家所蔵の御札コレクションの整理を実施した。整理のための特別な封筒を作成し、調査項目とカードを決定して整理を行った。一点一点をカード化しはじめた。カードをとりながら、明治維新の転換期が、御札の盛衰、形態変化をもたらすことをある程度確かめることができた。遠隔の立山、富士などの霊山系の御札は急激に無くなり、近郊の神社、寺院が出す御札は衰えない傾向はあった。 (3)近世の宗教史の専門家を集めて研究会を実施した。信州の神子と舞太夫の活動を歴史的に追及していくと、戦国時代末の印内、博士村につながることが議論された。近世の御師的宗教者については、民俗学からは「民間宗教者」という用語が出されており、近世史からは「身分的周縁」に含まれる存在とされてきたが、「勧進」の面が捉えきれていない。18世紀は、近世的勧進が体制化する時代であって、多くの宗教者、芸能者は、公権力によって勧進が認可されて、勧進にのめりこむ。寺社修復のための勧化も一般化していく時代であった。
|