伝統的な世俗化論では、社会の近代化と共に、遅かれ早かれ、どのような社会においても宗教の支配的影響力は減退し、世俗化は不可逆に進行すると考えられていた。しかし、1980年代以降、世界の各地で現れた宗教復興運動が一過性のものでないことを認め、代表的な世俗化論者たちがその理論の修正を余儀なくされた。さらに、世俗化が進んだと考えられてきた西洋社会においてすら、「世俗的なもの」を公的領域に、「宗教的なもの」を私的領域に整然と配置することが困難になりつつある。 こうした事情を踏まえて、本研究では、世俗的なものと宗教的なものを対立的にとらえ、両者の間に境界壁を設けるのでなく、むしろ相互に関係づける法的・政治的・政策的な作法を、ポスト・セキュラリズム研究の中心課題として位置づけ、考察した。それは同時に、世俗主義(政教分離)によって問題解決できるという近代主義に対する批判ともなった。 信教の自由は、表現の自由・集会の自由などと共に、基本的人権がどのように、どの程度保証されているかを計る指標として機能してきた。ところが、自由はどの国においても全面的に認められているわけでない。たとえば、暴力を国の内側に向ける自由は許されないが、外の敵に向ける場合に暴力は大幅に許容される。米国で作成された預言者ムハンマド侮辱映画に対する暴力的なデモが、いくつかの地域で展開されたが、それは表現の自由を制限し、冒涜禁止法を求める運動にもつながった。また「アラブの春」以降、主として世俗主義者であった独裁者が去った後、それまで信教の自由を享受していた宗教的少数者が攻撃にさらされる機会が増えた。イスラームが公的領域で力を取り戻しつつある中、西欧的な世俗主義でもなく、近代以前のイスラーム的理想への回帰でもなく、新しい宗教政策が模索されており、本研究では現代的課題の整理を行った。
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