中世に制作された絵巻を中心に、縁起内容とランドスケープ生成の接点などを探った。下記の研究成果のうち、佐野みどり・新川哲雄・藤原重雄編『中世絵画のマトリックス』に掲載された論文「「清水寺縁起絵巻」の空間と国土」において、16世紀初頭の土佐光信の周辺で制作された絵巻の中に、ランドスケープと呼びうる地理的な構想が読み取れることを指摘した。すなわち、大和国出身の僧が北へ向かい、長岡京付近から淀川を遡上して清水寺を発見するという展開は、奈良から平安時代にかけての遷都の動きを追ったもので、ここに南北の軸線が設定されている。これは、南都興福寺の末寺でありながら、延暦寺膝下の京都に位置する清水寺の特殊な位置をも示している。清水寺の開基には、坂上田村麻呂が関与したが、絵巻では田村麻呂の蝦夷征伐が大きな位置を占めており、京都と東国の関係という東西軸がもうひとつの基調となっている。平安以降の清水観音の縁起を記した各段においても、南都北嶺の争いを描いたり、霊験によって東国の大名と結婚して富貴となった女性の逸話を描いたりするなど、南北と東西の関係を基軸に物語が展開する。 土佐光信は、「清水寺縁起絵巻」制作の十年ほど前に、「洛中洛外図屏風」の原型と目される一双の「京中図」を完成させており、俯瞰的な視線で、京都およびその周辺のランドスケープを把握していたものと思われる。こうした地理的な感覚は、光信を取り巻く上層社会においても共有されていたものと思われ、新規に制作された絵巻にもそのような国土観が表明されるにいたったととらえることができよう。
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