土佐光信は、戦国時代の初期において、実際の景観のスケッチに基づく表現を絵巻の中で行った。こうした新しい視覚に基づく絵画制作は、「洛中洛外図屏風」の成立につながる。新しい視覚の背後には、応仁の乱後における注文主たちのものの見方の変化も横たわっている。「清水寺縁起絵巻」は、乱からの復興期にあった京都にあって、平安京の遷都と同時に開創された清水寺の由来を説くが、ここには国土の中心としての首都と、その周縁としての東北のイメージが明確に表象されている。さらに、南都興福寺の京都における末寺としての清水寺の位置は、古代・中世を通じた南北両京の地理的な軸によって物語が展開する。東西・南北の地理に基づいた空間把握のありようが、新たなランドスケープの生成に大きく影響していると考えられる。
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