平成21年度は、共和制都市国家の守護聖人とその崇敬に関する基本文献を読み進め、フィレンツェ大聖堂で11世紀頃から崇敬が盛んになった司教聖ゼノビウスの崇敬と、それに関わる美術作品(ビガッロの画家の《聖ゼノビウス祭壇前面飾り》、ギベルティの《聖ゼノビウスの櫃》ほか)に関する調査を主に進めた。聖ゼノビウスは数少ないフィレンツェ出身の聖人であり、同聖人の後継者たる歴代のフィレンツェ司教が最も効果的と思われる時機を狙って移葬を繰り返すことで関心を集めていた。だが、聖人がギベッリーニの立場をとる家柄の出身だと信じられていたことから、グエルフィ党による都市政府は聖ゼノビウスを都市の第一の守護聖人に掲げなかったことが明らかになった。 また、フィレンツェでは、都市政府内で勢力をふるった毛織物組合と毛織物商組合が、大聖堂と洗礼堂の造営と管理に加えて聖遺物の獲得にも積極的に関与したという点に着目し、フィレンツェ大聖堂における聖遺物収集と聖人崇敬における司教および都市政府の関与の実態を明らかにした。聖遺物収集と聖人崇敬の管理に都市の俗人が積極的に関与するという現象は、共和制の都市国家に顕著に見られ、都市国家の形成期に聖遺物と聖人崇敬が果たした役割を解明する上で重要な手掛かりとなる。都市の守護聖人を表した美術作品を分析することにより、都市政府の政治理念や立場を示すメッセージを読み取り、従来は看過されてきた無名あるいは逸名の美術家の作品を美術史研究の対象として取り込むというという点に、本研究の意義がある。
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