平成22年度は平成21年度に引き続き、共和制都市国家の守護聖人とその崇敬に関する基本文献を読み進め、さらにフィレンツェ大聖堂で崇敬された聖人および11世紀頃から崇敬が盛んになった聖ゼノビウスについての文献調査を主に行った。聖ゼノビウスは初期キリスト教時代にフィレンツェ教会を創設した重要な聖人であり、都市の守護聖人として崇敬された。だが、ギベッリーニの貴族の出自かつ司教だったというその属性から、13~15世紀には、ギベッリーニの追放を望むコムーネ政府、ゼノビウスの子孫と伝えられるギベッリーニ派のジローラミ家、教会の特権の衰退を阻止しようとするフィレンツェ教会の各々の利害関係の中で崇敬が発展する。こうした繊細な利害関係の中で注文された聖ゼノビウスにまつわる美術作品は、当然のことながら注文者の立場を明瞭に反映したものであった。フィレンツェのシンボルである百合を手にした姿で表現されたり、聖アンブロシウスとの関係が強調されたりと、注文者の立場の違いが図像の違いとして現れていることが明らかとなった。 聖遺物収集と聖人崇敬の管理に俗人が積極的に関与するという現象は、共和制の都市国家に顕著に見られ、都市貴族と教会側からコムーネ政府へと権力が移行していく経緯と並行して生じている。よって、都市の守護聖人を表した美術作品を分析することにより、教会やコムーネ政府の政治理念や立場を示すメッセージを読み取り、従来は看過されてきた無名の美術家の作品を美術史研究の対象として取り込むという点に、本研究の独創性と意義がある。
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