本研究は、特別な崇敬を受けた奇蹟像に着目することで、ルネサンス文化におけるイメージの地位や機能を歴史人類学的観点から問い直すことを目的としている。 本年は、中世末からルネサンス期にトスカーナ地方で流行した聖母像崇敬をとりあげた。チーゴリからラストラ・ア・シーニャ、次いでインプルネータ、フィエーゾレ、そしてフィレンツェ内のオルサンミケーレからサンティッシマ・アンヌンツィアータ、グラーツィエ橋へと、田園地方から都市中心部へと崇敬像の流行が地理的に変遷していく経緯を追い、各事例において、像の地位を操作する論理や経緯がいかなるものであったのかを現地調および料分析から考察した。 その結果、聖地と縁の深い真正な聖像を所有するローマに対して、トスカーナ地方の聖像崇敬がいかに移り変わりやすい現象であったか、さらに像崇敬をプロモートする集団も多様であり、像の地位を根拠づける操作も、像の自発的奇蹟力に訴えるものから、他の聖像の奇蹟譚のパスティッシュに訴えるもの、さらにはキリスト教以前の異教の崇拝からの継承性を唱えるものなど、多岐にわたることを明らかにした。ローマとの比較、さらに国際的な見取り図における像崇敬の変遷を検証するという課題が残されたが、今回の成果は論文博士号申請用論文(「ルネサンスの図像における奇蹟・分身・預言-イメージ人類学的視座から-」京都大学提出、審査中)の第一章として公表した。 さらに今年度は、奇蹟像の力をコントロールするために完成後の作品に加えられた後世の処理についても調査した。トスカーナ地方の聖母像に加え、像の呪術性を重視したアルプス地方の山間部の珍しい図像群についてもまとまった調査を行った。その成果についても、上記博士論文の第二章にて公表した。
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