本研究の目的は、銅板上に油絵具を用いて絵画を描く「銅板油彩画」という独特の絵画形態について、特にその誕生と黎明期の様相に関する包括的な考察を行うことにある。初年度にあたる本年度は「16世紀前半における銅板油彩画の誕生」について考察を行った。本年度の研究がとりわけ注目したのが、ブロンヅィーノ作《幸福の寓意》(1567年頃、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵)である。40cm×30cmの小型銅板に描かれた本作品は現存する銅板油彩画最初期の事例であり、その制作の経緯を考察することは銅板油彩画という絵画形態の誕生を論じる上で極めて重要である。本作品については、すでにグラハム・スミスらがフィレンツェ公コジモ・デ・メディチ1世の嫡男フランチェスコ・デ・メディチと神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の実妹ヨハンナの婚礼用祝祭装置との関連を指摘している。こうした先行研究を踏まえ、本研究では同祝祭装置について同時代の記述や素描をもとに具体像を明らかにした上でブロンヅィーノ作品と改めて照合し、後者が祝祭の残滓を留めつつもフランチェスコ個人の為政者としての特性の称揚に重きを置く内容となっていることを明らかにした。この種の政治的寓意は大画面絵画として描かれるのが通例であるが、君主の婚礼や戦勝に際して金属製メダルや小型浮彫りを制作する習慣や、さらにはフランチェスコからマクシミリアン2世への贈呈品とされたジャンボローニャのブロンズ製浮彫り等の存在から示唆を得て、ブロンヅィーノは不朽性を具現する素材として敢えて小型銅板に着目したと考えられる。ブロンヅィーノの《幸福の寓意》を契機に、宝石のような質感と不朽の含意という付加価値を備えた銅板油彩画は君主の書斎を飾るにふさわしい小品として政治寓意画に新たなジャンルを形成することになり、こうした需要が十六世紀第4四半期における銅板油彩画の爆発的な流行の一翼を担ったのであった。
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