元時代の磁器生産体制を踏まえて、明初の宮廷では、宮廷用陶磁器の生産を行うための環境を整備したが、その実態を探るための研究成果が近年中国国内の窯跡発掘報告書によって、公にされた。特に、明初の景徳鎮官窯の発掘成果によって、文献と発掘資料を照合し、洪武期と永楽期の様相が明らかにされてきている。 本研究では、明初の竜泉窯の発掘報告書である大窯楓洞岩窯址の出土品に相当する伝世品との照合を試みた。鈞窯の製品について、これまで北宋時代、あるいは金時代とされていた官窯タイプの伝世品について詳しく調査をおこなった。その結果、番号の入った官窯タイプの鈞窯製品については、様式的、技法的にきわめて限定された期間の製品と思われ、明初の永楽期から宣徳期にとも考えることができる。窯址での完全な発掘報告書がまだ刊行されていない段階で、鈞窯の編年について、断定はできないが、少なくとも、従来の説には疑問点が多くあり、本研究での成果として、永楽期から宣徳期としたい。鈞窯に関しては、今後の中国の研究者による発掘成果発表も待たれるところである。 また竜泉窯の永楽期の青磁や景徳鎮官窯での永楽期の製品との関連についても深い関連性を伺うことができた。明代初期の竜泉窯大窯楓洞岩窯では、宮廷用の青磁が生産され、これらは、故宮博物院のほか、トルコのトプカプ宮殿などにも伝世していることから流通についても考察が必要となってくる。 明初の宮廷が関与した窯として、景徳鎮窯があるが、このほか竜泉窯、鈞窯も宮廷用の磁器生産を行っていた窯として注目される。
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