本研究においては、戦争中の作曲家ならびに批評家の言説の中に、後の一九二〇年代の新潮流へとつながっていくような新理念の萌芽を見出し、さらには戦争の諸相とのその具体的な因果関係を見出すことを目的とした。研究の結果として、当時の有名な批評家パウル・ベッカー(Paul Bekker)が、戦争中の一九一六年に出版されたDasdeutscheMusikleben(ドイツの音楽生活)において、従来の演奏会制度が専らブルジョワ階級の独占物にすぎず、それは歴史的使命を終えつつあって、戦争が終わった後は全階級に開かれた新しい音楽演奏の機関を創出しなければならないと考えていたこと、ベッカーが夢見る新しい演奏会は、一種宗教的なものであって、ここにワーグナーの総合芸術の理念の幾分アナクロニスティックな残響が存在していることを、明らかにした。同時にここでは、明らかに従来の自律美学に基づく演奏会制度と受身で傾聴するのみの聴衆という、戦後アイスラーやヒンデミットやベッセラーが問題にすることになるロマン派/ブルジョワ文化批判が予告されていることも、分析された。さらに一九二〇年代にまず音楽批評家として活動を始めたアドルノにも、こうした発言がしばしば見られる。この種の言説のルーツを大戦中に出版された音楽書や音楽雑誌から析出し、それらを分析したことが、本研究の最大の実績である。また戦争中のドイツにおける演奏会状況ならびに演奏会プログラムの調査を行なったが、ドイツでは大戦中においても音楽家はあまり兵役にとられなかった。従って、戦争中であるにもかかわらず、相当活発な音楽活動が繰り広げられていた。その実態を、戦争中の音楽年鑑や音楽雑誌を主たる資料として、当時一体どれくらいの頻度で、どんなプログラムによる演奏会が催されていたかについて、調査分析を行なった。
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