本年度は、まず、『地下家伝』『群書類従』『楽家録』『狛氏新録』などの史料と、西山松之助、南谷美保らの先行研究によって、中世末から江戸初期にかけての楽所の再編と、楽家の伝承の断絶・復興について整理した。雅楽の伝承は、京都、奈良、大坂(天王寺)の三つの楽所に分かれ、各地城で龍笛、篳篥、笙、琵琶、箏、左舞、右舞等を専門に伝承する家系が伝承してきた。しかし、応仁の乱後の京都楽所再興時に、京都、奈良、大坂の地域を越えて伝承の継承がはかられた。具体的には、(1)奈良、大阪の楽人を呼び寄せて京都の楽人とともに宮廷儀式で演奏させる、(2)途絶した京都の楽家を、奈良、大阪の楽人を養子として継がせる、(3)京都の特定の楽家だけで保存されてきた伝承を、血統が途絶えた時の保険に、他家にも伝承させる、などの方策がとられた。江戸中期以降は、楽家相互の養子縁組がさらに盛んになり、地域と家を越えた伝承の交流の様態が明らかになった。 一方、上記の作業と平行して、楽書の記述と楽譜史料の調査を行った。調査の過程で天王寺系の楽人が著した『龍笛吹艶之事』と『龍笛案譜之記』という二点の楽書が新たに見つかり、その記述から、楽人同士の養子、交流が盛んに行われていたにもかかわらず、音楽伝承の系統について、「天王寺流」「北京」「南都流」など旧来の三方楽所を意識した概念が強いこともわかった。また、同史料からは、龍笛を伝承する際に用いられる「唱歌」の流儀に、「天王寺」と「南都」があり、前者は母音のエ行を含むことが確認できた。また、伏見宮家や菊亭家旧蔵の複数の龍笛譜の分析から、江戸時代には、現在と異なる龍笛の唱歌が少なくとも三系統あり、その中の一つは、エ行を含む天王寺系であることもわかった。
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