ル・コルビュジェの機能主義建築に代表される近代建築の成立はこれまで、産業の機械化、新しい建築技術の成立という理由から説明されてきた。しかし建築空間の変化が、人間の空間感覚の変化を反映していると考えるなら、視覚メディアの変容が引き起こした空間と主体と変容はそこにも反映され、これが建築スタイルの変化を引き起こしたとも考えることも可能である。そこで22年度で私は、主に同時代の視覚メディアの変容に注目し、日本映像学会全国大会(5月30日)で、「『悪魔の挺』と『欲望』に見られる「無気味なもの」としての写真」と題した口頭発表や、「無意識としての映像空間一映画『欲望』の中の写真のまなざし一」(永井隆則編『デザインの力』所収、晃洋書房、11月)で、遠近法と映像メディアの違いが、精神分析理論が論じる「意識」と「無意識」との違いに重なることを論じ、視覚メディアの空間が遠近法的なものから映像的なものへと変化することにより、そこで生み出される主体も、「自我」的なものから「エス」的なものへと変容することを明らかにした。 この成果を踏まえ、近代建築の成立の原因を、遠近法的なものから映画的なものへの空間の変化に求めるなら、近代建築の空間は、「我」が支配する空間から、「我」から逃れる無意識的の空間への変化にあることになる。このように近代建築の空間を無意識的なものだとすると、機能主義的な建築からブルータリスムの有機的な形態へのル・コルビュジエの建築の変化を、精神分析理論を用いて考察することが可能になる。そして、それゆえしばしば指摘されるブルータリスムのシュルレアリス的性格も論じることが可能になる。22年度に私が取り組んだ映画空間の精神分析的考察はこのような成果が予想されることから、芸術学上の意義、重要性があると言える。
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