江戸時代中期に商人の町として栄えた大坂で戯画作者として名声を博した耳鳥齋は、京町堀で商いを営むかたわら、絵画や浄瑠璃を嗜み、主として戯画作者として異才を放った人物である。京都や江戸と比べて、大坂は宮廷絵画(アカデミズム)とは一線を画す風土の地域であったが、商人の町ならではの自由闊達な雰囲気が、職業絵師の狩野派の絵師たちとは異なる多彩な絵師を輩出した。 耳鳥齋は、芝居絵、風俗画、そして版本に至るまで略筆を用いた作品によって、軽妙洒脱とでもいうべき的確さとおかしみとを示す戯画を描き、「世界ハ是レ即チーツノ大戯場」と言って、堅苦しい世間を笑い飛ばした。これまで、忘れられた画家という画家像が先行している画家であるが、その奇抜な独創的作品は、近代の宮武外骨や岡本一平らの後世の画家や漫画家たちに大きな影響を与えた。 本研究は、代表作の《別世界巻》、《地獄図巻》、そして《仮名手本忠臣蔵》などの肉筆作品に、『絵本水や空』、『画話耳鳥齋』などの版本を加え、その画業の全貌を明らかにした。また、与謝蕪村らによる人物戯画、さらには漫画の元祖とでも言うべき鳥羽絵本をも加えて、大坂の戯画の系譜を鮮明にした。滑稽な世相を鋭く抉り出して、風雅の領域にまで昇華させた数多くの作品が、笑いの町大坂の原点であることを明らかにした。これこそ近代漫画、そして現代のアニメーションの源流というべきである。本研究の独創性がここにある。
|