本研究は、平成21年度から平成24年度までの四年間の研究期間に、平安時代中期に成立した『将門記』と、室町時代中期に成立した『大塔物語』という二つの真名表記テキストを考察上の重要な定点としながら、漢詩文・古辞書・往来物・軍記物語・鷹書・和歌・謡曲・能楽伝書等の幅広い分野にわたる数多くの文献を調査し、それぞれの表現・用語の類似や関連について考証することを通して、古代から中世に至る数百年もの間、日本の文化の基層をあたかも伏流水のように貫流し、文化、学問の基底を支え続けた、真名表記をめぐる表現と知の系脈を解き明かそうとするものである。 このうち、前半の二年間は、考証上の最重要の定点と目する『大塔物語』の注釈を行い、その完成をめざす期間と位置づけており、その初年度である平成21年度は、その注釈を支える基礎な調査を行った。『大塔物語』は、応永7年(1400)に信濃国で起こった、守護の小笠原長秀と「国一揆」の人々との戦い、信州大塔合戦を記した室町時代の軍記物語であるが、その記述に関して、(1)歴史的事実との関係の調査、(2)諸本間の本文異同の調査、(3)用語の特質・典拠・原拠・相関についての調査を実施して、注釈に必要な基礎データを整えた。特に、(3)の調査においては、多くの文献を閲覧し、重要なデータを得る中で、真名表記をめぐる表現と知が、日本文化の深層に潜む重要な系脈となっていることを改めて確認することができた。また、(1)の調査において、長野県の自治体史(主に北信地域・東信地域)等の幅広い閲覧を進める中で、記述上、多くの修辞・修飾・引用等がなされている『大塔物語』が、室町時代初期の地理・地名や社会環境を周到に踏まえていることが明らかになってきた。このように、平成21年度の研究を通して、史実を重んじつつ修辞を凝らすという、真名表記をめぐる知と表現の重要な本質が新たに見え始めている。
|