平成21年度は、藤岡作太郎の日記の明治40年度分の翻刻とそれに関する調査を主として行なった。この年、作太郎は、雑誌『帝国文学』の実質的な編集長という立場にあったため、『帝国文学』誌上に発表した論文も多く、また書評や雑纂的な文章も多く載せている。論文以外の文章を掲載する場合に用いたペンネームは、『著作年表』(昭和女子大学編『近代文学研究叢書』第11巻、昭和34年1月)によれば「夏牛」であったらしいが、その根拠や由来に関しては未確認である。また、同誌上に載る他のペンネームで書かれた記事のなかにも作太郎の日記で取り上げられている作品や日記中と記述と符合するものがいくつかみられる。これらも作太郎の手になる可能性が考えられるところであるが、『帝国文学』編集関係者の間での共通の話題であったという可能性もあり速断はひかえるべきであろう。 また、『新体国語教本』教科書の編纂をおこなっており、その関係の記事も多い。教科書のなかで出典を明記していない文章は、作太郎及びその周辺の人々の手になるものと考えていいようだが、関係者の間でその原稿がかなり頻繁に行き来している様子を見ると、誰か一人の著作物と特定すべきものではないのかもしれない。また、出典を明記している文章のなかには、井上友一・三宅雪嶺らの著作が利用されており、こういたところにも旧加賀藩ネットワークの強固さをうかがうことができる。
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