本年度は下記を行った。 ①『葛の松原』『続五論』『俳諧十論』『十論為弁抄』『俳諧十論弁秘抄』『二十五箇条』『俳諧古今抄』などを中心に、支考俳論の正確な解読を行った。②『十論為弁抄』『十論裸問答』『俳諧十論発蒙』『十論記文秘説』『十論聞書』『俳諧十論弁秘抄』『十論桟梯』『十論為弁解』『俳諧十論衆議』 『俳諧十論衆議拾遺』『非十論』等の『俳諧十論』の注釈書をもとに、『俳諧十論』の解釈の様相を考察した。③反美濃派、非美濃派的な俳書の調査を行い、「虚実論」「七名八体」など美濃派的なるものが多分に含まれていることを確認した。④蝶夢の俳論を精読し、美濃派に批判的な蝶夢の俳論の中に、支考の影響が非常に強いこと、むしろ蝶夢こそ支考の俳論を本質的に継承していることを明らかにした。⑤幕末から明治にかけての美濃派の展開を調査した。⑥許六編『風俗文選』の研究を行い、支考の影響、支考俳論との比較を行った。 以上により、従来、芭蕉の俳諧観を歪曲したとして否定的に評価されてきた支考俳論と美濃派が、芭蕉の俳諧観を正確かつ本質的に継承し発展させたこと、支考と美濃派が芭蕉以降の俳諧史に大きな影響を与えており、その正確な理解が、江戸時代中期以降の俳諧史の正確な理解に繋がることを明らかにした。とりわけ、『俳諧答問抄』『『杉家俳則』など反美濃派、非美濃派的な俳書にも美濃派の影響が大きいことを明らかにしたことによって、俳諧史に与えた美濃派の影響は、単に美濃派(俳人や俳書)の勢力が大きかったというような単純なことではなく、その本質的な内容が流派を越えて大きな影響を与えていたことが明らかかとなった。これが、明治の旧派や正岡子規、高浜虚子といった近代俳句へと繋がってゆくのである。
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