佛光寺と佛光寺派寺院の所蔵資料を調査し、香川景樹の創始した桂園派の隆盛は、真宗佛光寺派の僧侶や門徒の間に景樹の歌論・和歌が流布したことに大きい理由があることを確かめた。 また、佛光寺派をはじめとする真宗の寺院や門徒の家に伝わる資料、種々の親鸞伝等を調査し、その成果に基づいて次の事実を明らかにした。江戸幕府の寺院統制の一環として浄土真宗各派の本山が准門跡に列せられたのと同じ十七世紀中頃、民衆の間では、親鸞が公家の出身であったことや和歌の名手であったことが強調されるようになり、そのような親鸞像が、佛光寺派と桂園派の密接な結びつきを可能にした。
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