心敬の文芸活動を関東下向以前と以後に大別し、本年度は関東下向以前の彼の活動を精査し、心敬の表現分析に必須と思われる作品の検討を行なった。 まず、心敬が宗匠として参加している連歌『落葉百韻』の注釈作業を開始し、各句の検討を通じて、表現技巧を分析した。その結果、関東下向以前の心敬の句風の特徴が明らかになると共に、心敬の連歌表現と、彼の和歌の師、正徹の和歌表現との密接な関わりをはっきりと示すことができた。さらに、この百韻内には、正徹の和歌表現とは一線を画している心敬独自の特徴ある表現の存在も確認されるが、それは、彼が自身の連歌論においてめざすべき境地と述べている「感^^<かん>情^^<せい>」という美的理念を追求したことによって、生み出されたものであることを論証できた。これにより、心敬の連歌の独創性も論ずることができた。 また、京都の古刹本能寺で開催された『落葉百韻』を詳細に調査することで、連衆として参加した畠山氏の被官の武士たちと、正徹や心敬との密接な関係がわかり、室町時代の地方有力武士たちの、歌人、連歌師との具体的な交友関係が明らかになった。さらに、心敬は東国下向に際し、法華宗徒の協力・庇護を受けているが、都における法華宗との関わりがより明白となった。それゆえ、この百韻の本能寺側の出席者である日与上人の文芸活動を調査することで、当時の連歌師と本能寺との継続的な関わりがわかるという見通しが立ち、次年度の本能寺史料調査にて日与上人関係の史料も対象とすることとなった。
|