本年度は、昨年度に入手した「アポロ協会会則」の分析を行った。アポロ協会は、これまで存在は知られていたが、イギリス音楽史ではほとんど無視されてきた音楽協会である。ウィリアム・ボイスの調査中に偶然入手したアポロ協会会則は、1730年代の新しい音楽演奏会の傾向を示すものである。これまでイギリル独自の音楽演奏会は「古楽アカデミー」によって代表されるものと考えられてきた。このアカデミーは有名であり、1世紀に渡り活動を続けたが、明確な会則はまだ見つかっていない。一方、アポロ協会はヘンデルと不仲であったモーリス・グリーンの主宰であったためか、ほとんど無視され、ジョン・ホーキンズの古楽アカデミー史の叙述に「数年しか活動しなかった」と記述されており、ほとんど鵜呑みにされてきた。 「アポロ協会会則」によれば、この協会は演奏家と鑑賞者により構成され、10月より3月まで毎週水曜日の午後7時から演奏会が開催されるべく規定されていた。また役員や会費の規定も厳密であり、礼儀作法も19世紀以降のクラシック音楽演奏会を予兆するものであった。劇場や歌劇場の観客のあり方とは大きく異なる、新しい潮流であることが確認できる。したがって、ボイスの『ダビデの哀悼歌』は、ある意味でヘンデルのオラトリオ演奏会の先駆けとなるものであったと言えることが明らかとなった。 さらに本年度には、パーセルの『妖精の女王』のグラインドボーン祝祭歌劇場公演を分析して、セミオペラが上演作品として、イタリア歌劇に劣るどころか、きわめてイギリス的な作品であることを明らかにした。 また3月には四国学院大学に資料収集旅行を行い、ヘンデルとボイスに関する貴重な資料を入手した。
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