18世紀初頭のイギリスに導入されたイタリア歌劇は、ドライデンやコングリーヴの関連から明らかなように、演劇界と強く結びついていた。しかし、イギリスのイタリア歌劇研究は、主として音楽史家によって行われているため、演劇と歌劇との結びつきに十分な配慮がなされていない。 唯一の例外は、第1次王立アカデミーの破綻の原因がジョン・ゲイの『乞食オペラ』の人気に帰せられていることであるが、音楽史家の指摘する通り、その破綻の原因が王立アカデミーの組織自体に潜んでいたことも事実であって、文学史家の指摘もまた一方的に過ぎたのである。 しかし、本研究で明らかになったことは、第1次王立アカデミーの破綻にゲイの『乞食オペラ』のみならず、他の演劇公演が密接に関係していたことである。ロバート・ヒュームによれば、1920年代末には演劇界に変化が生まれ、『乞食オペラ』やシバーのProvok'd Husbandの成功に続いて、リロやフィールディングが新しい作品を公演し、イタリア歌劇の観客を奪っていった。このような変化が、ヘンデルに喜劇性を帯びた『パルテノペ』を作曲公演させ、また新しいイタリア歌劇団、貴族歌劇団、の無謀とも見える結成を促したのである。 こうした状況の中で、ヘンデルの第2次王立アカデミー時代に、傑作『アリオダンテ』や『アルチーナ』が生まれた。さらに演劇界の活況に対応するために、『ファラモンド』のような型破りな作品や、『セルセ』のような喜劇的要素にあふれた作品が書かれることとなったのである。 このような状況が続いていくことは、その後の演劇界で、イタリア歌劇のバーレスクである『ウォントレーの竜』が『乞食オペラ』以上の当たりをとり、ヘンデル自身も楽しんだと伝えられていることからも明らかである。第2次王立アカデミー以降の不思議な作品展開も、演劇界の活況を考慮することで、理解可能となるのである。
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