本研究は、アメリカ史において最古と言われるイギリス植民地であるヴァージニアのジェームズタウンとそれから13年ほど遅れて始まったニューイングランドの植民地との比較を試みるとともに両植民地の交流の実態を探り当て、ともすれば両者の植民の目的の相違点のみが強調されてきた従来の仮説を見直して、両植民地の宗教的政治的思想における共通項を提示しようとするものであった。資料的裏づけはなきにしもあらずではあるが、その交流の程度を探るのは困難であった。本年度は最終年度であるので、アメリカのヴァージニア州にあるジェームズタウンのメモリアル施設とヴァージニア大学の図書館を訪れる機会に恵まれた。「百聞は一見にしかず」であり、研究に関してかなりのインスピレーションを得ることができた。また図書館において、Kirbye J.EdwardによるPuritan in the Southという20世紀はじめに著された歴史書も発見し、この本のテーマが我々のテーゼを支えるものであることが確認された。その他にも南部におけるPuritanismの影響について論じている歴史書、文学研究書も数冊発見し、研究の方向性は間違ってはいないことが確認され勇気付けられた。これらの研究文献の示唆するところは、北部のPuritanismが南部のヴァージニアに影響を与えていくのは18世紀以降、次第に広まっていったことである。PuritanismとDemocracyの親近性については、すでにA.D.Linsey等の有名な研究が示しているが、信教の自由を基盤にした民主的な自由の精神がPuritanismを媒介にしながら、南部ヴァージニアのEpisopalismにも影響を与えていったことが見て取れる。したがって研究の成果としては、18世紀以降のすでに発展段階にある両植民地の比較研究をおこないアメリカ独立戦争にいたる双方向の影響を考察することで、この研究のテーマは完遂されるとの認識をえることができた。すなわち17世紀研究からさらに視野を18世紀以降までに伸張させていくことによって両者の交流の姿を素描できることを確認することができた。
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