研究課題
「ジェイムズ・ジョイスと東洋文化の系譜学」というテーマで、2つの海外学会発表を行った。1つは6月にプラハのカレル大学で開催された国際ジェイムズ・ジョイス・シンポジウムで「'Prafarfeast' 'in the east' (FW 541):『フィネガンズ・ウェイク』における能と禅」という題目で日本の能と禅がいかにジョイス作品で言及されているかを論じた。禅の公案と能の語りが20世紀初頭のヨーロッパでは日本発の新しい文化として紹介されていた。アーネスト・フェノロサやアイルランド人ラフカディオ・ハーンが日本で研究して書いた論考や翻訳を価値ある極東文化として認めたエズラ・パウンドやアイルランド人W.B.イェーツはジョイスと親交があった。フェノロサ訳に基づき『フィネガンズ・ウェイク』中の能と日本僧化した聖パトリックと中国人化した大ドルイド僧の会話劇も解析した。11月にソウル市の世宗大学で開催された東アジア・ジョイス学会で「極東への旅ジョイスを聖ザフランシスコ・ザビエル中心にイエズス会との関連で読む」という題目で招待発表を行い、ザビエル及びイエズス会の日本及び中国での布教活動がいかにジョイスに影響を与えたかを論じた。キリスト教を保護した織田信長の後継者豊臣秀吉は当初キリスト教を黙認して交易を奨励したが、サン・フェリペ号事件を境に秀吉はキリスト教弾圧政策をとり始めた。徳川幕府もキリスト教を禁止し、迫害弾圧の時代に入っていった。するとキリスト教の布教活動は中国で盛んになる。イエズス会だけで1700年までに20万人の中国人を改宗した。イエズス会創設名門クロンゴウズ・ウッド・コレッジ及びベルヴェディア・コレッジで学んだジョイスは模範生で、イエズス会司祭たちから司祭になることを勧められたが、彼は結局断った。そのことはザビエルを称える説教場面もある『若い芸術家の肖像』で脚色されて描かれており、日本布教史を踏まえて検証した。
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James Joyce Journal (published by The James Joyce Society of Korea)
巻: Vol.16 No.2 ページ: 53-78
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