論稿「快い哲学:ジョイス作品における宗教的アイデンティティの和解」では、彼の東方への文学的かつ宗教の旅がキリスト教との和解の前にいかに必要不可欠なものであったかを示し、ジョイス作品群において、どのように宗教的葛藤と和解が描かれているかを探求した。1903年、ジョイスはH.フィールディング=ホール著『ある民族の魂』の書評を書き、仏教を戦争を見当違いのものとして脇にやる「快い哲学」として讃えた。エルネスト・ルナン著『イエスの生涯』を読んで、ジョイスはキリストと釈尊を『スティーブン・ヒーロー』のスティーブンに比較させた。彼は小説を書いて自分の宗教的葛藤を解消したと結論した。 論稿「ジョイスのひび割れた鏡を通して見た中国と日本」では、ジョイスが「ひび割れた鏡」を通して中国と日本をどう描いたかを論じた。中国と日本は緊密なペアとして描かれることが多い。それは地理的に近いこと、言語文化的に類似点・共通点が多いからであろう。幼年期のイエズス会時代から『ユリシーズ』に描かれた日清・日露戦争、『フィネガンズ・ウェイク』の日中戦争までの日中関係を主に中国人読者のために論じた。 論稿「アイルランド性のアジア性を意識すること」では、アイリッシュ・オリエンタリズムがいかにジョイスと彼の同時代人達に影響を与えたかを探求した。若きジョイスは、ジェイムズ・クラレンス・マンガン、ジョージ・ラッセル、W. B. イェイツといったアイリッシュ・オリエンタリストに影響を受け、神智学やオリエント学をダブリンで学んだ。アイリッシュ・オリエンタリストは自国文化を英国文化から区別した愛国者たちでもあり、オリエント学は大英帝国に対するナショナリズムと強い関係をもって発展した。日本を研究したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は例外である。ジョイスを中心としてオリエント学を考察し、東洋と西洋の文化交流が双方向に行われてきたことを証明した。
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