19世紀に発行された(元)奴隷によるスレイヴ・ナラティヴ(奴隷物語)は、1830年代、奴隷制廃止運動の高まりとともに、奴隷制の残酷さや非情さを告発する手段として奴隷制廃止論者たちに利用されるようになる。約9割を占める男性作者によるナラティヴと比較すると、女性によるナラティヴは政治的なメッセージよりも家族関係や恋愛・出産・育児に関わる葛藤といった内面の描写をより詳細に記述しているものが多い。これは女性によるナラティヴが(主に北部の)白人中産階級の女性を読者に想定していたことと関係がある。妻・母としての思い、出産・育児に関する苦しみなど、同性だからこそ語れる思いを綴ったと考えられる。今年度は、1850年に発行された『ソジャナー・トルースの物語』を中心に研究を行った。これは白人女性の友人によって口述筆記されたものであることから、家族との関係や内面の葛藤に関してはあまり詳細に語られていない。一方で、奴隷制を糾弾する男性的ナラティヴとも異なる。家族の絆や個人的葛藤といった内的側面より、奴隷制廃止論者、伝道者としての公的な側面を強調したものである。キリスト教の教えを基盤としながらもより幅広い社会改革(奴隷制廃止、禁酒、死刑廃止、女性参政権)に関わったという点からトルースのナラティヴを扱ったが、今後の研究ではトルースの、おそらく「意図的」であったと考えられる、公的イメージからの「家族」の消去という点についても取り上げていきたい。強制された結婚相手である夫との関係、奴隷制廃止の移行措置として-定期間の奉公を義務付けられた娘たちとの絆、3つの社会主義的共同体での疑似家族的集団生活等に触れながらトルースの家族観・母性についても研究していきたい。トルースの他にも、これまであまり論じられることのなかった女性によるスレイヴ・ナラティヴを取り上げ、そこに描かれた家族や母性の問題について考察したい。
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