本年度は、エリザベス朝宮廷祝祭におけるLeicester伯の影響を検証するために、1570年代にThomas Churchyardが執筆・上演・出版に携わったエリザベス一世の巡幸パジェントに関する調査を行った。Churchyardが二つの巡幸パジェントを手がけた1570年代は、スペインの圧政に対して反旗を翻したネーデルラントの叛乱を契機として、それまで何とか危うい均衡状態を保ってきたヨーロッパの権力バランスが揺れ動き、イングランドが外交政策上大きな軌道修正を迫られた時期に符合している。この剣呑とした状況の最中に敢行されたノリッジ巡幸(1578年)は、それ自体が大きな政治的意味を有すると共に、エリザベス一世の表象においても一つの分水嶺を成している。ノリッジ巡幸パジェントは、初めて公式にエリザベスを処女王として賛美した祝祭として知られ、処女王神話の元始を画すると言っても過言ではない。興味深いのは、それがロンドンから遠く離れた地方都市で、軍人という異色の経歴を持つ詩人によって提供されたという点である。本年度の研究では、ネーデルラントからの亡命者を多く抱えるノリッジへの巡幸の企画にはLeicester伯が関与した可能性が高いことに着目し、その政治意図がChurchyardのパジェントを通して一般読者に発信される過程を分析すると共に、宮廷祝祭と地方祝祭の捩れにも似た相関関係を明らかにした。研究成果の一部については「トマス・チャーチヤードの処女王言説」と題した論文にまとめて、出版した。 さらに、1570年代以降の宮廷祝祭における妖精の女王のロマンス的モチーフの変遷に関する研究を通して、Leicester伯やEssex伯ら武闘派プロテスタント貴族の間で流行した騎士道的エートスの形成を跡づけると共に、それが大衆劇場や印刷出版物を通して民衆文化へと拡散していく中で矮小化・戯画化される過程を明らかにした。本研究成果の一部は、「エリザベス朝宮廷祝祭における妖精の女王のロマンス的変容」と題した論文にまとめ、近刊の予定である。
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