当該年度の研究目的は、20世紀スイスにおける「国民化プロジェクト」と「作家-メディア-批評家のネットワーク」の間に見出される言説の政治の諸相を-とりわけ両者の共生と抗争に焦点を当てて-明らかにするための基礎的データの収集とそれに基づく論文執筆にあった。そのための座標軸を形成するのは、スイスの国民統合の表象の政治をめぐる「マックス・ブリッシュ(1911-1991)の言説と行動」、および、1930年代のスイスの文化政策が生み出した「精神的国土防衛」運動であった。まず、フリッシュが1930年代に発表した未公刊資料の中でも、とりわけ入手困難なAntwort aus der Stille(1937)のFraktur書体のテクストを電子ファイル化した。それをもとにして、テクスト分析を行い、ファシズム期のスイス市民社会における危機意識とその克服の諸可能性をあきらかにした。この成果は『独文学報』第25号に掲載された。このような文献資料の掘り起こしと電子ファイル化を進める一方で、戦後のフリッシュのスイス市民社会に対する考え方がさまざまな位相において書き込まれている物語りテクストStiller(1954)を、これまでのフリッシュ研究の準拠枠ではなく、「非現実的なもののトポロジー」という間テクスト的な文脈の中に置き直すことを試みた。フリッシュの批判的思考は常に拠点としての「非現実的なもの」を有しており、その次元の思想史的位置を解明することなしに、フリッシュとナショナリズムの関係もあきらかにしえないのである。この成果は『名古屋大学文学部研究論集』第56号に掲載された
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