ベルリンの大衆と芸術について、その具体的な例として、ヘインリッヒ・ツィレおよびビルダーボーゲンという大衆的芸術活動の特徴をまとめた。ハインリッヒ・ツィレが生涯一貫して風刺画のテーマとして描き続けたのは、彼が「第5階級」と呼ぶ社会の底辺で生きる人々の姿である。ツィレの作品世界は20世紀初頭のベルリンにおける「ツィレブーム」により広く大衆に知られ、ツィレは国民的画家の地位を獲得するが、この時に世間によって付与されたイメージはその後、現代まで受け継がれ、一部は、ベルリンの観光産業と結びついていわゆる「街おこし」的な役割さえ担っている。今回の研究ではその画家の内包する多面性にも焦点を当て、実際の人物像の解明を試みた。ツィレとその作品に関しては、日本では石子順氏の著作『カリカチュアの近代/7人のヨーロッパ風刺画家』(柏書房 1993年)の中にある1章を除いては、ほとんど研究も紹介もされていないのが現状である。この意味で本研究は、日本で風刺画家ハインリッヒ・ツィレに関する極めて少ない情報、資料となることと思われる。 ビルダーボーゲンに関しては、グスタフ・キューン社の出版物を中心にその特徴の推移を検討した。19世紀中ごろまでの同社の作品は、ビーダーマイアー的な世界観に支えられ、家庭の幸福、市民としてのモラル教育的に示すという内容のものが多数であった。しかし同社の19世紀末から20世紀初頭の作品ではそうして教育的配慮はほとんど見られない。人の失敗を嘲笑したり、純真とされてきたはずの子供がとんでもないいたずらをしたりするという、社会のモラルに違反する内容の作品が主流を占めるようになる。この背景には、産業革命以来の競争原理を強調する社会風潮があると思われる。しかし芸術の発展としてはリアリティが増し、初期の現状肯定的な幻想がなくなったという意味では、一定の発展があったとも考えることができる。いずれにしてもこうして絵物語が、とりわけいたずら者の子供という設定が、20世紀に発展する漫画の先史となっていることは、大衆的芸術研究にとっては重要である。
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