デカルトは、三段論法のようなスコラ的論証に代えて、明晰判明な観念から出発する厳格な演繹体系を提示しかつ実践したと一般的に考えられていて、このことは概観的には誤りではない。しかし、デカルトの『屈折光学』はそのような公理的記述を取っておらず、3つの「比較comparaison」を通して光のさまざまな特性を読者に提示し、そのように示された特性によって、光学のあれこれの問題を解決していくという構成を取っている。このような『屈折光学』の論証構造は、デカルト自身の言う演繹構造とかけ離れているため、当時から批判の対象であったし、現在もなお、研究者の関心を引く重要な研究対象である。本年度は、アリストテレス主義者であるモランとの論争を手がかりに、デカルトにとっての自然学における論証のあり方を検討した。このことによって、スコラ的な類と種差による論証によっても、また幾何学的な公理体系によっても、自然学上の課題はうまく論証できないことにデカルト自身きわめて自覚的であったこと、そしてこの「比較」という方法が、それが量的なものに留まるかぎりで、自然学において有効であるとデカルトが考えていることを明らかにした。なお、この「比較」の起源については、論証の学が非常に錯綜していた17世紀において特定するのは困難であるが、一つの可能性としてラムス主義からの影響を排除できないことを示した。以上の研究成果は、国際コロックにてフランス語で口頭発表された後、フランス語の原稿で公表された。また夏期にパリに滞在し、フランス国会図書館にて資料調査を行った。
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