本研究は、明治39年に茨城県五浦に移転した日本美術院の活動と意義について、岡倉覚三の思想、組織経営の特徴、画家たちの活動、地域との関わり、五浦の位置づけと岡倉像の変容など、多角的な視点から考察することを目的とする。 平成21年度は、研究計画に従い、国内外の諸施設における資料の収集と整理、および研究発表を行った。特に(1)五浦移転における岡倉および日本美術院と茨城県との関係性、(2)「五浦」の美術思想史的な位置づけの変化と、岡倉像の変遷について追求を試みた。(1)については、日本美術院移転以前から、岡倉が茨城県の知識人層の中に人脈を形成していたこと、ボストンにおける拠点形成との共通性などについて、「野口勝一日記」や「いはらき新聞」等の資料から裏付け、岡倉天心研究会、『茨城県史研究』第94号、『鵬』第5号において発表した。(2)については、昭和17年に岡倉天心偉績顕彰会主催による講演会での横山大観講演録を紹介し、それを手がかりに、戦時中に形成され、現在も流通する「天心」像について考察した(『五浦論叢』第16号)。研究の深化のために、五浦、赤倉、福井を訪れ、各地の岡倉顕彰会の代表者に、戦中・戦後の顕彰活動についてインタビューし、関係資料の提供を受けた。また、4月にはボストンを訪れ、公共図書館等で資料調査を実施し、新資料を得ることができた。さらに同地で開催された岡倉関連シンポジウム等にも参加し、アメリカにおける研究動向について把握するとともに、報告レポートを『あいだ』第161号に寄稿した。
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