本研究は、1906年(明治39)に茨城県五浦に日本美術院を移転した岡倉覚三(天心、1863-1913)の活動と意義について、多角的な視点から考察することを目的とする。国内外で調査した資料に基づいて、茨城県における岡倉のネットワーク構築と日本美術院受容の諸相、五浦での活動とボストンでの活動との関係性、五浦の位置づけの変容と岡倉像の変遷について検討した。研究成果を学会報告や論文執筆などで社会に発信し、調査を通して収集した資料のデータ入力を終了した。研究の集大成として、発表論文をまとめた単著を刊行するため、現在準備中である。
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