本年度は中国の変身譚の特徴を上古に遡って考察検討することを主たる課題とし、神話資料に見える中国最古の変身について再検討を試みた。横浜国立大学教育人間科学部紀要II』No.12に発表した、「先秦時代の変身譚について」はその成果の一部である。この論考によって、中国の変身譚が、最古の資料である神話において既に、刑罰・遺恨などによる、死を介在させた受け身の変身によって占められることを確認した。神話に既に見えるこうした特質は、以後の人化異類変身譚にも受け継がれ、大量の因果応報譚を運で行くことになったと考えられる。しかし一方、死を介在させない変身が存在しなかった訳ではない。この点についても、徐志平説が漢代成立とする禹の変身の話を先秦にまで引き上げる考証を試みた。なお追記の形で示したが、『呂氏春秋』巻一四・孝行覧・本味に見える伊尹の母が空桑の樹木に化し、その樹の洞から尹が生まれる話は、禹の妻塗山氏が石化して啓を産んだ話と共通するモチーフを持っており、この類の話が先秦に遡ることを示している。とすれば、彼女の石化の原因としてセットになっている禹の動物への変身も、先秦に遡る古い神話である可能性が極めて高い。伊尹の母の話を傍証資料として禹と塗山氏の話を見るならば、超能力による動物への変身の話が漢代以前にも存在したことは、一先ず立証が可能となろう。 六朝・唐代の人化異類変身譚については、作業の進捗が遅れたため、焦点を「板橋三娘子」および変驢変馬譚に絞って考察を進めることとした。その成果の一端は、東方学会第59回全国会員総会のシンポジウム報告、「六朝唐代の小説に見える西域起源の説話について」においても発表し、諸氏の意見・批判を仰いた。
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