人間にとって恋情とは、生の真実に関わる本質的問題であり、中唐の伝奇小説や、日本の物語文学が、ともに、この恋情や恋愛を主要なテーマとしている、究極的な理由も、この点にこそ求め得る。 しかし、恋情を、人間の生の真実、あるいは宿命として、深く自覚するためには、そうした認識を支え可能にするだけの、文化の成熟が必要であった。九世紀の中国では、長安を中心とする、都市文化の爛熟を背景として、科挙制度によって新たに台頭した士大夫階級が、妓女を中心とする女性たちとの交流を深め、恋情をめぐる人間的生の真実を、伝奇小説という新しい虚構の形式を用いて表現し、そこからはまた、〈風流・好色・多情〉を是とする、新しい価値観や美意識も生まれたのであった。こうした中唐の新しい美意識が、平安朝の美意識〈みやび・色好み・もののあはれ〉の形成にも、深い位相において、影響を与えている。 例えば、『万葉集』における大伴田主と石川郎女の逸話は、風流論争として著名であるが、そこには『遊仙窟』や「登徒子好色賦」など中国文学からの影響が顕蓍であり、その風流が、やがて、いわゆる、王朝の〈みやび〉へと展開していった。すなわち、恋愛をめぐる唐代文学や奈良・平安朝の物語文学は、東アジアの〈風流文化圏の文学〉の一環として、大きな視点から、一連の〈文化ダイナミズム〉のもとに、捉えることが可能なのである。 本年度は、上記の研究テーマを巡って、「長恨歌」「李夫人」「長恨歌伝」「鶯鶯伝」等の中唐恋情文学を取り上げ、そこに現れた〈恋情に惑う男〉という形象などを視座に据えながら、それが、日本の『竹取』『伊勢』『源氏』の各物語文学の主題と、如何に関連するかについて、具体的に考察した。 こうした〈文化ダイナミズム〉に着目した研究は、きわめて独創性の高いものであり、中国文学のみならず、日本文学の研究者にも、新しい視点からのアプローチを促す意義を有している。
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