魯迅をめぐる日本人のうち、内山完造、児島(中村)亨、林芙美子及び須藤五百三について、それぞれが残した魯迅に関する文物資料のうち、未だ世に知られていない未発見の資料を、新たに発掘することを目的とした。 平成22年度4月に行った、児島(中村)亨の祖である江戸末の漢方医中村耕雲の旧宅の調査では、江戸期以来の母屋が倒壊したことが判明した。1月末に降った大雪が原因と思われる。母屋の横に建つ農具等を納めた小屋は健在で、内に風呂敷に包まれた幾つかの遺物があり、その中からは、児島(中村)亨の叔父中村文太郎、従兄弟中村喜久太、その長男中村九郎に関係する、書簡、写真、雑誌、自筆原稿等が見つかった。特筆すべきは、上海北四川路から発送された内山完造と児島(中村)亨の書簡とそれぞれの写真、及び、雑誌『浙江文化研究』、『中国文學』、新聞『日本文化時報』等の発行物があったことで、更に大書すべきことには、内村鑑三の『聖書之研究』の自筆原稿15枚が見つかったことである。 また平成22年度9月には、林芙美子が魯迅から贈られたと伝わる腕輪の真相解明のために、黒竜江省宝清県に入り実地調査を行った。当地では档案館や史志辮を訪れて得た情報から、林芙美子が『凍れる大地』で記した兵舎や病院、協和会本部を特定することができた。この調査の報告は、論文に著して本学紀要に発表した。宝清県への途次に経由した北京では、魯迅と周作人が居住した八道弯11号の四合院を調査し、多くの日本文人が詣でた路地の原姿を見ることができた。 また平成23年3月には、『初期社会主義研究』誌により、森近運平(大逆事件で幸徳秋水と共に刑死。中村家と同地の高屋村出身)から中村喜久太に宛てた書簡3通が存在することが判明し、また中村喜久太の弟、中村登が森近運平と同年齢で共に高屋小学校で学んだことが確認され、本研究は新たな展開を迎えることになった。これは現在調査中である。
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