魯迅をめぐる日本人のうち、林芙美子、内山完造、児島(中村)亨について、それぞれが残した魯迅に関する文物資料とその背景を調査することを目的とした。 平成23年8月の長春調査では、林芙美子と協和会との関係を明らかにするために、吉林省档案館、吉林省方志館、吉林省図書館等の資料に当たり、吉林省社会科学院の王慶祥氏から偽満期の調査をする便宜を得た。また新京の協和会本部、新京日日新聞社、関東軍官舎などの遺跡を実地に検証した。 平成23年12月の水戸調査では、上海内山書店の店員であった中村亨の祖中村耕雲の事跡を記した佐藤方定(水戸藩士)著『備急蓬莱八薬新論』(安政四年刊)の背景を調査した。また明治大学では、周作人と関係がある方紀生の父・方宗鰲が商科に在籍したことを「清国留学生学籍簿」により確認し、林芙美子記念館では林福江氏が所蔵する写真帳8冊を閲覧し、芙美子が自書した説明の中に「方紀生」の名がありそれを撮影保存することができた。 平成24年1月の林福江氏資料調査では、芙美子の書き損じ原稿244枚を調査し、また文芸評論家尾形明子氏と面談し満洲と女流作家について情報交換をした。 平成24年3月の鹿児島調査では、林芙美子の自筆原稿と、改造社の山本實彦に宛てた胡適、堺利彦等の書簡を閲覧調査し、屋久島調査では、芙美子の「浮雲」「屋久島紀行」に記されたトロッコ道、営林署官舎、安房館等を実地に検証した。また、長野県山ノ内町角間の調査では、志賀高原ロマン美術館が林福江氏から借用した芙美子の書簡一枚と、尾道東高等学校が所蔵する芙美子の書簡一枚と合わせて元来の一通となる可能性があることが分かり、後に尾道市教育委員会を通して調査したところ一通の書簡であることが判明した。また同じく3月には、方紀生が京都に居住していた形跡を調査した。その結果四条大宮に現存する賀陽コーポラスに居住していたことが判明した。
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