本年度は第一に、前年度に引き続き、特に東大寺文書第三部を中心として、東寺百合文書の経済文書類、仁和寺聖教類等の寺院所蔵の典籍文書類に関して、書風・書体に関する表記史的調査を行った。その中で東大寺文書第三部9(請定・着到に関する部分)において、書記習慣(必ずしも規範的なものではないが、文字集団の一定範囲において行われていた書記のあり方)と書体・書風の連関性について見いだされるところがあり、「表記史的現象としての表記習慣-東大寺文書の『着到』を例として-」(『国文論叢』第43号、2010年12月)としてその成果を公にすることを得た。その中では、限定された書記範疇において独自の表記習慣が流布する場合のあることや、その中から表記機能的に有用性の有るものが他の書記範疇に伝播し、普遍化していく過程についての知見を限定的にではあるが示すことができた。 それに併せて、本年度は出版隆盛時代における書体・書風の表記史的探求についての検討も開始した。近世版本においては、文学ジャンル毎に書体・書風の一定の傾向があることは周知のことであり、その点についての表記史的検討は研究代表者自身もこれまでに行ってきた所であるが、それと書写における書体・書風の問題との関連(出版書体・書風が手書きの書体・書風に与える影響、また稿本の段階でどの程度出版書体・書風の措定が行われるか等)についての考究が表記史的記述には是非とも必要と考えられ、その準備的調査として東京大学附属図書館所蔵資料を中心として、近世自筆稿本類の書風史的調査を行った。
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