近い将来に日本が多民族、多言語社会になるのではないかと言われています。それが現実になったときに、様々な政策作りや社会問題緩和のために参考になるのは、過去に実際に形成された日本国内の多言語コミュニティである。本研究では、数世代にわたる「長期的」コミュニティ(小笠原諸島の欧米系島民)を、半世紀続いている「中期的」もの(石垣の台湾系島民)、そして10年ほど続いている歴史の浅い「短期的」もの(茨城県大洗町のインドネシア人)と比較している。 比較した結果、次のことが分かった。(1)混合言語が生じるのは若いコミュニティではなく、むしろ数世代の時間を積み重ねた長期的なものであることが分かった。これは当初の予測や「一般常識」に反した驚きの発見だった。(2)中期的なコミュニティの場合は混合言語というよりもむしろ二つの言語変種(〓南語と日本語)の使い分けが目立った。石垣台湾人一世の「中間言語」には、ほかの地域の自然習得者との共通点も見られるが、「ウチナーヤマトゥグチ」という地域言語と、非母語話者の中間言語との両方の絡み合わせによる独特な「沖縄県ならでは」の言語現象も見られる。(3)短期的なコミュニティである大洗町では(10年住んでいる人が多いとは言え)、日本語がまだ習得段階にある大人はいるが、バイリンガルな2世も年月と共に増えつつある。 なお、当初フィールドの一つとして考えていた大洗町は去年3月11日に起きた東日本大震災の被害を受けたため、調査が続けられなくなった。これまでお世話になっていた大洗のインドネシア人たちの安否が確認できたが、その後多くは(一時)帰国をしていた。一方、三重県伊賀市にある多言語コミュニティ(ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語、中国語、韓国語、タガログ語、中国語)の方々に調査をしたいと申し入れしたら、それを快く受け入れてくれた。
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