本研究では近世における芸能「興行」のあり方と対比させて「遊芸」文化の特徴を描くことと、都市文化の影響を考慮に入れて村落および地域社会の具体像について描き出すことを目的としてきた。本年度は、原点に立ち帰ることを意図して、第一に「興行」体制の近代への展開過程について考察した(「明治期の道頓堀劇場の経営」)。近世の芝居座経営と明治期の劇場経営とでは簡単に比較できない点もあるが、相違点をふまえたうえで両者を対照することで、「興行」とは何かについて改めて問うことができると考えた。明治期の中座の経営帳簿を分析した結果、近世では頭取のもとで把握されていた「日用」的存在の給金が、勘定場に直接管理されるようになったことなどの変化がありつつも、明治30年代に松竹が進出する以前は、近世からの慣行が多少なりとも継続していたことが明らかになった。芝居の興行体制が変われば、芝居町の様相も変わる。芝居小屋や関連業者が立ち並ぶ芝居町・道頓堀の姿は、松竹の進出とともに変貌を遂げることになる。第二に、都市文化の地域への影響について、役者評判記における「旅芝居」をもとに考察した(「役者評判記にみる旅芝居」)。17世紀末から18世紀なかばの役者評判記には、京・大坂から地方に出かけた役者、あるいは芸団に取材した話が多く見られ、「旅芝居」あるいは「田舎芝居」というものが、物語の展開においてひとつの要点となっている。そこには実在の役者(初代坂田藤十郎)や、伊勢、宮島、金毘羅など、実際に芝居興行のさかんだった地名が登場する。しかし、詳細に見ると、旅芝居の厳しい現実もそれなりに描かれており、この頃、すでに三都と地方の階層差が存在したことが知られるのである。
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