近年の研究では、18世紀後半以降のロシアの日本北辺への進出に直面して、それ以前の対外関係の枠組みが「鎖国」としてとらえ直され、外交秩序が再編されたことが解明されたが、その背景となる意識については、未解明であった。そこで本研究では、松平定信の著述と蔵書を主な素材として、定信の世界観と国家意識の解明を試み、2編の論文にまとめた。 「松平定信と『鎖国』」(『史林』95-3、2012)では、松平定信の対ロシア外交の特質を、彼の世界認識を踏まえ明らかにした。すなわち、ラクスマンへの対応の焦点は江戸回航の阻止であり、そのために幕府が通商を容認したこと、これは従来の日本の対外方針の枠内にあり、かつ、世界最大の帝国ロシアの強大な軍事力への怖れを背景としていたことを明らかにした。また文化露寇事件後の定信は、幕吏敗走への批判集中が幕府の権威を揺るがしていることを重く見て、通商否認へと態度を転換したことを解明し、事件の敗北が文化期以降の幕府の対外政策の方向を規定したと指摘した。 「寛政改革期の蝦夷地政策」(投稿中)は、寛政改革期の蝦夷地政策は、幕府が蝦夷地の開発を進めようとした田沼期の積極策を起点とし、寛政11年(1799)の東蝦夷地幕領化に帰結する歴史過程の中にどう位置づけられるのかについて検証したものである。すなわち、田沼期と寛政改革期は、ロシアの脅威を危機としてとらえる点で、問題意識を共有しており、幕府が直接的に蝦夷地政策に取り組む必要を認める点で一つの流れの中に位置づけられること、寛政改革期には、蝦夷地の軍事的防衛とアイヌの帰服策の必要が確認され、東蝦夷地幕領化に展開する土台が作られたことを明らかにした。 以上の2編は、個々の外交・蝦夷地政策を世界認識・国家意識との連関においてとらえなおしたものであり、研究を大きく深化させたものと考えている
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